事務所を始めた頃の話。
明日の午前中
事務所があるマンションが断水になるので
その間にお腹が痛くなったらどうするんだ! と
若干不安な 上田しずか です
♯ お風呂にたっぷりお水を溜めました
はい。
今日もいってみましょう。
ブログを再開してから
過去のブログをよく読み返すのですが
→ 以前のブログは
「上田しずかのちゃかぽこ日記。」
なんかもうー
恥ずかしーい。
好きだのー
嫌いだのー
恋に夢見てる記事なんて
ほんとに恥ずかしい。
でもまぁまぁ
自分の今までの歩みを思い出すのは
楽しい作業でもあります。
24歳の頃に
師匠のグラフィックデザイナーと
事務所を立ち上げたわけですが
2人で事務所やろうぜ!
行くぜ!
未来は明るいぜ!
みたいなテンションで始めたわけではなく
経営コンサルタント会社の
「制作室」 で働いていた2人が
会社の方針が変わってしまい
社内の雰囲気も どんどん変わっていく中
それしか道はないよね。
っていう感じで始めたので
なんだかもう
いろいろ。いろいろあったな。と。
ちょうど
宇多田ヒカルがデビューした年で
ラジオから流れる曲は
「Automatic」
毎日繰り返し流れてくる曲は
「Automatic」
※ 昔はラジオを流しながら仕事していて
それぞれ黙って仕事していてもラジオの話にみんなで反応して
ツッコミ入れたり、笑ったり、ああいう雰囲気が とっても好きでした
事務所を始めたばかりの辛い記憶と
「Automatic」 が脳内でリンクされ
その後 数年間
宇多田ヒカルの曲が流れると
ひいぃぃぃっっっ!!
と反応してしまうくらい。
宇多田ヒカルの曲は聴けませんでした。
その頃のネタは山ほどあるので またお話できれば・・・です。
そんなに
宇多田ヒカルアレルギーだったのに
息子の名前は 「ヒカル」 っていう・・・
なんでやねん! と思いつつ
勝手に運命を感じています。
(子どもを産んだ年も同じやしね!)
今では大好きです。宇多田ヒカルの曲。
話が逸れまくっていますが 戻して
そんな感じで
まだろくにデザインもできない
当然、イラストレーターとしての仕事もない
何者でもない、ただの24歳女子に
世間はとっても冷たくて
師匠であるデザイナーには
にっこりするのに
私には冷たい態度。なんて事も日常茶飯事でした。
それでも
私の 「イラストレーターになりたい!」
という夢を、想いを応援し
励まして助けてくれる大人もたくさんいました。
その後、イラストレーターとして
そこそこ大きな仕事をもらえるようになると
手のひらを返す大人もたくさんいたけど
(ほぉー・・ほんまにあるんや。手のひら返し! でした)
なんというか
私が尊敬する、大好きな大人たちは
私がどうだろうが、何にも変わらない。
ずっと 「上田しずか」 として接してくれたので
私も、相手が何歳だろうが
何者であろうが
同じ目線で話をする人でありたいと思っています。
そう思わせてくれる
素敵な大人に出会えた事が、私の財産です。
話そうーと思っていたことがあったんですが
そこに行き着くまでの前置きが長くなってしまったので
続きはまた明日にしますね。
ではではー
また明日!
今日もHAPPYな1日を!